東アジアに戦火再び

平和とは戦間期の別名に過ぎない。常に備えよ日本!

中国当局に拘束された亡命五人家族の無事を祈って

中共瀋陽で5月8日午後、日本総領事館に北朝鮮からの亡命を求める子供二人を含む五人家族が入り込もうとしたところを、中共警察官らが領事館敷地内奥深くまで入り込み連れ出した事件が発生しました。 
  
 テレビの映像に映し出されるこの悲劇に釘付けになった方も多いと思います。リアルに映し出される映像の中に、中共国家の卑情さと日本人の心の浅薄さと、手のつけられないほどの平和ボケの深刻さを改めて見せつけられたと感じた方も多いと思います。 
  
 私も今、気分がとても滅入っています、尋常ではありません。極端にいえば日本人と名乗る事をやめたいぐらいです、悲しいです。心はもうボロボロです。日本外交は、過去幾度となくそして懲りることなく日本の誇りを打ち砕き、そして尊厳を失ってきました。しかしながら次回こそは、上手くやってくれるのではないかと悲しくも期待し続けてきました。しかし、今回の一連の映像に映し出される日本人の姿に接し、次があるさではとても済まされる問題ではありません。極端にいえば日本の存在の危機とでも申せましょう。 
  
冷静になって今度の事件を分析しようとすれば(もちろん未だ冷静になってはいませんが)、次の二点に集約出来るかもしれません、もちろん人によりその重要度や分析のレベルは違うと思います。 
 
  
1、中共当局は、日本国家としての主権を土足で踏み荒らし汚した。
  
日本総領事館で発生した今度の事件と時を違わずして、アメリカ総領事館でも同日と次の日に北朝鮮人が亡命を求めて駆け込んだ、そちらの亡命に対しては中共当局は見て見ぬふりをして許容した。 
  
一方日本総領事館には、かなり奥深く逃げ込んだ者までも捕まえて連れ去ってしまった。 
この彼我の差の対応を見るにつけ、いかに日本が中共当局から見下されているかの証左でしょう。古来からの大国意識が抜けない傲慢な周辺国に対する差別的対応でもあります。 
  
こんどの日本に対するあからさまな主権侵害に対し、確固たる方針で臨まなければならない事は言を待ちません。 
領事館員の失態は後でキチンと結末をつけなければなりませんが、今、我々が最も注目しなければならない事は、中共当局の今回の事件に対する弁明が「身分不明の人が日本総領事館に突入する事を防いだもので、日本総領事館の安全を確保する為にとった措置だ」などと語っている事です。 
  
いつも通りの中共側の独善的な勝手な解釈だが、あの映像がなければ通用する文言かも知れない、あのような状況証拠が存在しながら吐ける言葉とはとても思えない、私が弁明する立場なら赤面してしまうかもしれない。 
  
子供でも分別できる事態に対し、あまりにも子供じみた釈明をもって正面突破をはかろうとする中共当局の日本を見下した態度に、国家主権を侵害された事以上に噴気に耐えず、胃の中は胃酸で満タンになり痛いくらいです(笑)。 
そして、今ほど政治家にならなかった事が悔やまれる時はありません。 
  
 
2,国権を代理代行する館員の職務怠慢により日本の尊厳を地に落とした。 
  
死を覚悟で亡命を決起した彼女らにとって、鉄柵から手を離す事は北朝鮮に連れ戻され、そして死が待つ事を意味するとの認識で死んでも離すまいとする形相と、中共警察官が二人が掛かりでも、あのおばあさんを持ち上げる事の出来ないほどの強い力との何とも言えない張りつめた生きる為の命が力を呼び起こす緊張感の中、領事館員はトコトコと歌舞伎町の路上での通行人同士の喧嘩を見るような雰囲気で、泣き叫び助けを求める婦女子を目の前に見ながら傍観し続けた。
 
挙げ句の果ては中共警察官の揉み合いの際に落とした帽子を拾ってやり付着した泥をふるい落としてやる姿をまざまざと見せつけられ、改めてテレビの映像で展開される彼我の対極的な緊張感の差違、日本総領事館員らのあの弛緩した場違いな雰囲気に私は何とも言えない、そして何とも例えようのない失望と絶望感に襲われました。 
  
日本総領事館員と呼ばれているのであろう頭でっかちのお坊ちゃん数人の、自分は何をなすべきか、自分は何が仕事なのか全く認識していないアルバイト的館員によって、日本の尊厳とプライドは見事に吹き飛び蹴散らされてしまった。

 

 

日本外交は、私が改めて語る必要もありませんが日本の国益や人間としての良心を表明する為に活動し諸外国と交渉にあたっているとお世辞にも言えた状況ではありませんでした。 
  
しかしながら、アメリカを代表とする覇権国家の圧力や国際政治の現実の中にあって最低限の日本の尊厳とプライドを維持しつつ、先人達は何とか国体として日本を創出し、より良い国造りを目指して支えてきたと、少なからず敬意を表することに吝かではありません。 
  
これら営々と苦渋の選択ながら築き上げてきた先人達が維持してきた尊厳をあの総領事館員といわれる、ある意味では国を代表とする、国を代理して行動している彼らにより、たったの一時間ほどのカウントによって見事、過去営々と先人が苦渋の汗と良心により積み上げてきた日本人が日本人たる尊厳の拠り所と為す一連の精神をあっという間に空中分解させてしまった。 
  
過去に幾度となく落胆し、失望させられ、苦汁を飲まされ続けた日本外交だが、今度だけは、領事館員を首にして総領事を更迭し、外相が謝罪すれば事たれりとするような今まで通りの対応で済まされる問題ではない。 
  
人の心は語らずともこだまする。地球の反対側で起こる人間の葛藤や思惑さえもテレビなどの電波ではなく「気」として時を過ぎる事なく伝播し我々に伝わってくる、ましてや日本人同士の行動や思考なら言わずもがなでありましょう。 
  
今度の事件は、中共当局の野蛮さ、民族差別的な偏狭さをまざまざと見せつけられ露見しました。中共当局は国際世論の非難を一手に受け止めなければなりませんが、それと共に日本人の心がここまで落ちていたかという姿を見事に暴き出したのではないでしょうか。 
  
繰り返しますが、人の心は語らずともこだまします。 
総領事館員の心はまた、私達の心でもあるのです。自分はたまたまそのような危機的状況に対面しなかっただけであり、その心が隠蔽されているだけではないでしょうか。 
私も含め、私達の人間としての尊厳がいつからこれほどに地に落ちてしまったのでしょうか。 
人間の命が数百年維持できるのであれば、その時期が第二次大戦に敗れてからなのか、高度成長の波に乗り生活が豊かになってからなのか、はたまた戦前のさらにずっと前からすでにそうであったのか流れを掴めるかもしれませんが‥‥。 
  
 少なくとも私は、当分立ち直れそうにありません。ましてやアメリカなど外国の政策や活動を批判することなど。日本人としての拠り所となる尊厳とプライドを見事に剥ぎ取られてしまい丸裸になってしまいました。 
  
再びゼロからコツコツと自分の力で思考し、一枚一枚服をまとっていくしかありませんし、積み上げていくしかありません。そして再び日本人としての尊厳を奮い立たせ精神が立ち上がってくるのを待つしかありません。 
  
作家の三島由紀夫氏が東京市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部内で自決したのは私も社会人になってすぐの頃、今から二十九年ぐらい前だったと記憶しています。 
皆さんの中にも一定の年齢に達していた方は衝撃的な事件としてご記憶の方も多い事と思いますが、彼が自決する前に次のような文面を残しています、一部を抜粋、紹介しまして投稿文を閉じたいと思います。 
  
「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであらう。三島由紀夫」 
  
梅雨を思わせるような梅雨寒の中、彼の発した警句が身にこたえます。 
命をかけて亡命を試みる悲しさと決意に、そしてその亡命を支援する組織に対し心から敬意を表したいと思います。 
  
そして、願わくばテレビに映し出されたあの幼子を含む五人家族が北朝鮮に連れ戻され処刑されるのではなく、韓国で待つ親族の元へ合流できますように。        合掌